型にはめられることはそんなに不幸か
古い例えだけど、サーカスの像の話 pic.twitter.com/Wx7VtjtPr0
— ムーチョ@VALU (@mucho) 2017年7月17日
小さい頃からネガティブな言葉をかけ続けると、本来の能力が発揮できなくなると言う趣旨だと思われる。
ネットではけっこう見かけるように思いますが、この手の考え方には否定的です。
将来はどうなるか分かりませんが、少なくとも現代の日本においては、組織内において目立たず波風を立てないと言うのは賢い生き方です。
上記のツイート主は海外在住、主夫歴10年とのことで、日本式レール社会から外れて生きていけるだけの才能を備えていたのではないでしょうか。
自由は絶対の価値ではない
例えば、仕事が嫌いで嫌いで仕方なく、生活費と勤め人と言う社会的体面の為だけに働いている人が、仕事に対して自分の意見を求められたところで困るでしょう。
あるいは人に対する依存性が高い性格の人に、自立した意見と独立した行動を求められても苦痛しか感じないでしょう。
逆に趣味嗜好に対して淡白で流行りものにとりあえず乗るものの、流行りがすぎると見向きもしなくなる人が、自分の意見がないと言われたところで鬱陶しいだけでしょう。
声が大きい人達は概して成功者
日本式レール社会はネット界隈では批判的に語られることが多いです。
しかしそれが何故かと言われれば、私は単に強力な意見の拡散力を持つ人達の言葉だけが目立っている。
そしてそのような人達はレールから外れても生きていけるだけのタフネスを持っているからだと思っています。
堀江貴文なんかは極端ですが、あれだけの強烈なキャラクターならレールからどれだけ外れてもいくらでもやっていけるでしょう。
しかしそこまで確固たる自己を持てない人間の方が多数派じゃないでしょうか。
そしてそう言う人達が一部の成功者を真似してレールから降りてみた所で何が起きるでしょうか。
手痛い、取り返しのつかない人生に対する不可逆的なダメージを受けておしまい、となるでしょう。
最初に戻って
そこで冒頭のツイートに戻りますが、さて、一体子供を肯定し、自由に生きさせて、日本で幸せに生きられますか?
いずれは日本を捨てどこかの外国でバリバリのエリートとして働いてもらうつもりなら、それもありかもしれません。
しかし日本で働き暮らしていく将来を望むなら自由闊達な考え方は重荷になるのではないでしょうか。
型にはまってさえいれば生きられる幸せ
日本は「集団の不文律に逆らわない限り自己の意見や意思がなくても生きていける」社会だと思います。
それが幸か不幸かはその人次第でしょうが、私なんかは常に自分の意見を求められる続ける方がストレスです。
周りに合わせておけばとりあえず追放されない社会。
自分の居場所を守る為に自己を強く持たないと行けない社会。
そんな社会より「まぁまぁなぁなぁ」でとりあえずそこにいることは許してもらえる社会。
そっちの方が余程気が楽だと思います。
型にさえはまっていれば批判されない社会、そんなに躍起になって否定しなければいけない悪ですか?
余談
肯定中心に育てられ、怒られたり批判されたりしたことが少ない世代ってのがいわゆるキラキラネーム世代だと思うんですが、彼らの活躍はあまり聞かない気がします。
肯定中心に育てるのであれば、否定、批判、反対された時に相手の意見を受け入れた上で、肯定的な所で妥協点を探る訓連もさせないといけないじゃないでしょうかね。
そこの辺りを指摘する言論ってあまり見かけない気がします。